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コミュニケーションは難しい。もっとも、難しい原因は分かっている。前提となる知識の状態が人それぞれ異なっているため、相手が知らない知識を前提として説明しても相手は理解することができず、相手も知っている知識から順を追って説明しなければ、相手は理解できないからである。
このことを図で表すのは、状態遷移図をイメージするのが分かりやすい。もっともITについて学習した機会がない人は、そもそも状態遷移図という言葉を聞いたことがないかもしれない。私自身も昔、情報処理技術者試験の勉強をしたときに初めて状態遷移図を知ったような気がする。
状態遷移図も厳密に考えれば難しいことがあるかもしれないが、人の状態が与えられた刺激(情報)の順番に応じて状態変化(遷移)していくと考えれば、とりあえずは十分である。
もちろん、初期状態は人により異なるし、同じ刺激(情報)を与えても状態がどのように変化(遷移)するかも人による。それゆえ、試行錯誤を経ながら、最終的に理解した状態に到達できるように教える順番を工夫していくことになる。
状態遷移コミュニケーションを行うために第一に大事なことは、相手の状態を理解することである。日常的な会話でも相手の反応を見ながら話す内容を変えることはしばしば行われると思われるが、教育においては、教わる側に理解してもらわなければ、学習効果が期待できないため、教える側が教わる側の状態を理解することは、極めて重要である。
教えようとしている知識の前提となる知識を知っているか、それを理解しているかなどは、相手の状態を理解するための基本的な確認事項となる。授業ではしばしば教師は学生の知識を確認するような質問をするが、学生の学習効果を上げるためには、どこから教えるべきかを検討するために質問しているのである。決して知らないことを非難するために質問しているわけではない。仮に学生が知らないこと(不勉強)を非難するために質問するような教師がいるとしたら、そのような教師に教わりたくないというのが普通の感覚ではなかろうか。その教師がいかにその分野において優れた知識を持っていたとしても、そのような目的で学生に質問をしているのだとしたら、人に物事を教えることには向かないとしか言いようがない。
知識を教える側も教わる側もその知識が正しいかどうかをどのようにすれば検証できるかを考えることは極めて大事である。
検証するということは批判するということではない。その前提が正しいかどうかを判断するための手法について自分自身で調べたり、考えたりすることである。Why?を考えるのではなくHow to~?を考えるのである。そして、調べたり、考えたりした検証するための手法に則って前提が正しいかどうかを検証するということである。当然ながら検証するための手法自体も検証の対象となり得る。
検証を経ていない前提は仮説と呼ばれる場合もあるが、仮説の中には論理的に検証不能な仮説もある。すなわち、仮説が正しいかどうかを判断するための手法が現実に存在しない仮説である。そのような仮説は基本的には無意味であり、前提とすることはできないが、論理的に検証不能であることが直ちに明らかではない場合には、論理的に検証不能であることを検証することに意味がある場合もある。
コミュニケーションには前提を共有することが必要であり、前提は検証してある程度の確からしさを備える必要がある。しかし、全ての前提を自分自身だけで検証することは不可能であり、そのようなことをしていては、いつまで経ってもコミュニケーションは始まらない。そこで、他人による検証をもって、自分自身の検証に代えることになる。
他人の検証を利用する場合には、その検証が実行可能なものであるか、その検証によりどの程度確からしさがあるといえるかなどを検討することになる。実行可能な検証が容易に思いつき、かつ、その検証結果とされるものが予想どおりであれば、誰かが検証を実行(実験)したことがあるだろうとして、疑うことは難しく、かつ、疑う必要はあまりないが、たまに例外もあり得るため注意が必要である。
前提が正しいかどうかを検証し、正しいと判断したとしても、正しいと判断した2つの前提が相互に矛盾する場合もある。それはどちらかの検証が間違っている場合もあれば、両方の検証が間違っている場合もある。それも一つの経験であり、検証の手法自体を検証する契機となり得るが、より望ましいのは、相互に矛盾すると思われた前提同士を矛盾なく統一的に正しいと説明できるより高い次元での前提を発見することである。
学問は、そのような弁証法的な検証を経て、発展していると考えられる。そうすると、弁証法的な思考方法は、学問において極めて重要な基本的な思考方法なのであるが、高校までの授業では、ヘーゲルの弁証法くらいしか弁証法を学ぶ機会がなかったような気がする。思想ではなく思考方法の基本として有用なので、より多くの人に学ぶ機会があることが望ましい。
社会科学の分野(法学、経済学、会計学など)は、社会において妥当と考えられている基本的な前提を基に発展しているが、新たに仮説を提唱する場合に、その学問分野の基本的な前提と矛盾しないかどうかは、まずもって検証すべきものである。その学問分野の基本的な前提と矛盾しないものは内的整合性があるといえ、その学問分野の体系に位置付けることができる。
すなわち、新たな仮説を提唱するには、その学問分野の基本的な前提と既存の体系を理解し、新たな仮説の内的整合性とその体系上の位置付けを検証することになる。